稲盛和夫氏は、経営破綻に追い込まれたjalを再生し、復活させました。

その経営手腕は、誰もが真似したいものですが、稲盛流の独特の経営だったということも出来ます。
では、稲盛和夫氏はどのように経営破たんをしてしまったjalを再生させたのでしょうか。

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1.まずは決算書を見た

京セラやKDDIを創業した稲盛和夫は、jalの再建に携わりました。
jalは経営破たんをしてしまい、会社更生法の適用を受けましたが、稲盛氏の再建で、2年間で営業利益2000億円という回復を見せ付けました。
稲盛氏はまず、jalの再建をするにあたって、決算書を見せるように支持をしました。
潰れた会社の経営の根底に欠陥があると見た稲盛氏は、「今現在のjalの内情を知るために、決算書を見たい」と言ったそうです。
すると、jal側から提出された書類は、3〜4ヶ月も前のものでした。
この決算書では、稲盛氏の言う「現在のjalの状況」を把握することができません。
jal側としては、世界中に支店があるのだから、それをまとめるのには時間がかかる、という言い分でした。
ですが、稲盛氏はきつく「経営ではない」と叱りました。
経営は、今現在の状況を正確に把握することから始まります。
ですから稲盛和夫は、jalの再建にあたって、今の現状を知る必要があったのです。

2.社員を叱り続けた

稲盛和夫がjalの再建をしている間、幹部社員も含めて多くの社員が稲盛氏に叱られ続けていました。
jalの経営スタイルというのは、一握りの幹部が指示をして、組織がそれを守っていくというスタイルを続けていました。
なので、稲盛氏は非常に硬直化した官僚が集まっているような組織であるという印象を受けたといいます。
稲盛氏は二次破綻を防ぐためにも、一握りの経営陣に頼るやり方をしていてはいけないと思ったそうです。
そのため、まずは経営陣の心を動かすことから始めました。
稲盛氏流の哲学を話始め「人として何が正しいかで判断する」ということを言い続けたのです。
毎日毎日、社員を怒っていた稲盛氏に対して、社員は最初浮かない顔をしていました。
自分たちに自信があった彼らにとって、人に怒られるということは、自分を曲げることに繋がりそうだったのです。
それでも根気強く話した結果、心を動かしてくれる人が現れ始めました。
1人、2人と人数は増えていき、稲盛和夫の目指す社員改革をしたうえでのjal再建が可能になったのです。

3.フィロソフィを作らせた

jalの再建にあたって、稲盛和夫はフィロソフィを作らせることにしました。
そもそも、フィロソフィは稲盛氏が京セラやKDDIを創業するときに作成したものです。
稲盛氏は経営者とは孤独なものだと思っていました。
何の自信もなくても、自分で考え、決めていかなければ行けない孤独に、耐えなければいけないのです。
ですがそのとき、稲盛氏は「自分のように経営について心配するような分身がいればいいのに」と思ったそうです。
そして、稲盛氏が自分の考え方や判断基準をまとめたものが、京セラやKDDIのフィロソフィになっているのです。
jalの再建でも、そのフィロソフィは必要である、と稲盛氏は考えたのです。
当時のjalの社長である大西賢氏に、京セラのフィロソフィを渡し、参考にしてjalなりのフィロソフィを作るように命じたのです。
こうしてjalのフィロソフィは、数十人がかりで2ヶ月ほどかかって、作成されました。
稲盛和夫が命じたjalなりのフィロソフィがあったからこそ、jalの再建が出来たのです。

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4.毎日のように哲学を語り続けた

jalの再建の段階では、稲盛和夫氏は自分の哲学を話し続けました。
稲盛氏の哲学とは、「人間として何が正しいかで判断する」ということです。
稲盛氏は、自分の哲学を京セラのフィロソフィとして残しています。
そして、それにブレることなく、いつでも変わらないように、その哲学を持ち続けているのです。
jalの幹部というのは、当時、高学歴の人たちばかりでしたから、浮かない顔で稲盛氏の話を聞いていたそうです。
「子どもを諭すような道徳観なんて」と思っていたのではないか、と稲盛氏は話しています。
ですが、子どもが一番最初に教わることが当たり前に出来ていないのであれば、大会社の経営なんて出来るわけがない、と稲盛氏は思っていたのです。
ですから、当たり前のことが実行できていない幹部に対して怒り、毎日毎日、哲学を話し続けました。
そうすると、徐々に心を動かされてくる人がいて、1人、また1人と稲盛氏の話に耳を傾けるようになってきたのです。
そこにjalなりのフィロソフィがあったので、稲盛和夫の再建は成功したといえます。

5.無報酬だった

稲盛和夫はjalの再建に尽力し、会社更生法の適用から3年で再上場をするまでに成長させました。
ですが、このとき稲盛氏は、報酬を一切貰っていなかったのです。
実は、jal再建の話が稲盛氏の下に舞い込んできたとき、稲盛氏は断っていたのです。
2009年に政府と企業再生支援機構から、jalが会社更生法の適用申請をするので、再建に力を貸して欲しい、と要請がありました。
稲盛氏は「航空業界には知識も経験もないから、引き受ける気はない」と断っていたのです。
とはいえ、政府としても、jalの再建は急務でした。
何度も稲盛氏に要請し、稲盛氏は義侠心のようなもので引き受けたのだ、と語っていました。
週に3回程度の協力で、無報酬で手伝うことを条件にしました。
無報酬で再建の手伝いをすると決めた稲盛氏の心としては、「確信も自信もないのに、報酬を受け取れない」と思っていたのです。
そして、稲盛氏は無事に、jalの再建を成功させ、3年で再上場を果たせる企業へと復活させました。
稲盛和夫は無報酬で、jalの再建を行った素晴らしい人物なのです。

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稲盛和夫がjalを再建したときの5つの方法

1.まずは決算書を見た
2.社員を叱り続けた
3.フィロソフィを作らせた
4.毎日のように哲学を語り続けた
5.無報酬だった

稲盛和夫がjalを再建

稲盛和夫のjal再建は、まさに稲盛流で行われました。
その結果、jalは無事に経営を復活させ、以前の輝きを取り戻したのです。
稲盛和夫が行ったjal再建は、今までの経営手腕の集大成だったのかもしれません。