松下幸之助氏といえば、日本の歴史の中でも稀代のお金持ちでしょう。

パナソニックを一代で築き上げた経営者であり、その手腕や独特の感性というのは今も多くの方を惹きつけます。

彼を尊敬している方も多い中、松下氏が人生の師匠としていたのが中村天風氏です。

非常に多くの有名人が彼に師事していたという伝説の人物でもあります。

スポンサーリンク


1.稀代のお金持ち松下幸之助氏を知る

まずは稀代のお金持ちであった松下幸之助氏をご紹介させて頂きます。

彼はパナソニックの経営者としてだけではなく、松下政経塾でもその名前をよく知られているのではないでしょうか。

若い方になると松下氏を知らないという方も増えてきましたが、政治のニュースを見ていると松下政経塾という単語は耳に覚えがあるかと思います。

松下氏は父親が米相場で失敗し、破産した事から激流に飲み込まれる事になります。

その後は引っ越しをして下駄屋を始めたのですが、残念ながら彼の父には商才は無く、松下氏は丁稚奉公に出される事になります。2つ目の奉公先で、よく客に煙草を買いに行かされたそうです。

そのため、先にまとめて買っておく事によってすぐに出せ、尚且つ利益を出してそれで小銭を稼いでいたそうですが、それは丁稚仲間からの反感を買う事になりました。

そこで松下氏は商才の片鱗を見せるだけではなく、この方法は一人勝ち。

周りの反感を買ってしまう事も覚えたのです。

2.人生最良の投資となる

よく、お金持ちになりたければ実際にお金持ちと接する事だという話があります。

実際、成功している方々というのは自分よりも多く稼いでいる人と会う為には時間もお金も惜しみません。

つまり、それは人生において最良の投資になる事を良く知っているからです。

お金持ちというのはやはりパワーが違います。あまりそういう方に触れていない方であれば、まさに圧倒されてしまうでしょう。

それだけのパワーを持っているのです。会うだけで世界が変わったと答える方も少なくはありません。

どれだけ努力するよりも、一度尊敬しているお金持ちに会う方が自分にとっては良いと答える方が多いのもそういう理由があるからですね。

松下幸之助氏は中村天風氏に師事していたわけではなく、彼にとってのメンターとしていたそうですが、非常に大きな影響を受けていたのではないでしょうか。

3.中村天風氏もお金持ちだった

松下幸之助氏と同様に中村天風氏もお金持ちでした。

意外にも、彼は幼少の頃というのは非常に暴れん坊だったそうです。

その暴れっぷりは両親も手を焼いてしまうほど。

そのため、福岡市の親戚に預けられました。

修猷館中学に入学し、全て英語での授業を行っていたため語学力は非常に堪能。

幼少期の頃から官舎の近くに住んでいたイギリス人に英語を習った事も影響しているでしょう。

文武両道の活躍をしていたのですが、練習試合に負けてしまった生徒からの闇討ちにあい、その復習をする際に出刃包丁で生徒を刺殺してしまいました。

その後は玄洋社に預けられ、帝国陸軍の諜報員も務めました。

113名が9名まで減ったという状況の中で彼も生き残ったのです。

そして、渡米をしたりヒマラヤでの修行を行い悟りを開きました。

帰国してからは実業家に転身し、東京実業貯蔵銀行の頭取などを歴任し、多額の財産を築き上げました。

スポンサーリンク