孫正義のように病気になったことがある起業家5人

0
13258

ソフトバンクの孫正義は、ソフトバンクを設立後、病気になってしまったことがあります。

日本には、病気になってしまった起業家がまだまだたくさんいます。
孫正義を初めとする起業家が、病気になってしまってからの姿を、紹介します。

スポンサーリンク


1.孫正義は会社設立当初に病気になってしまった

ソフトバンクの社長、孫正義は、起業後、慢性肝炎が見つかり、療養生活を送ったことがあります。
孫正義は、1981年に日本ソフトバンクを設立しました。
ですが、翌年には、慢性の肝炎が見つかりました。
その時点で、孫氏は社長でしたが、会長職へと引き継がれ、1986年まで、会長職を行いながら、療養生活を送っていました。
1986年に病気が治り、その段階で再び会長へと復帰しました。
その後は、日本に帰化したり、今のソフトバンクを立ち上げたりと、目覚しい活躍をしています。
20代と言うまだまだ若い頃に大病をしてしまった孫氏は、その頃、人生を見つめなおしていたのです。
病気をしてからも、病院を抜け出してまで仕事をしていたと言う孫氏は、「仕事は自己満足である」という結論にたどり着きました。
なので、孫氏は今でも、仕事は自己満足のためにあるものだと思いながら仕事をしているのです。
孫子の病気は、まさに自分自身を見つめなおすための時間でした。

2.藤田田は、余命2ヶ月と診断されたことがある

マクドナルドの社長で、日本マクドナルドの創業者である藤田田は、高校時代に結核をわずらったことがあります。
当時は不治の病と言われていた結核で、藤田氏は、医者に「余命2ヶ月」と言う診断をされたこともありました。
ですが、このピンチを藤田氏は切り抜け、日本マクドナルドの創業に尽力します。
69歳になった戸しには、日本トイサ”ら”スも設立し、生涯、仕事を続けていきました。
2004年に死去してしまうまで、生涯を有意義に過ごした人物です。
藤田氏は、昔、結核をわずらっていたときのことを、著書で「狭い視野で見るから悲観してしまうのだ」と語っています。
藤田氏は、余命2ヶ月というピンチを脱してから考えてみると、自分は絶対絶命ではなかったと思えたといいます。
人生360度、あらゆる角度から人生をとらえれば、これで終わりという発想にはならないのだそうです。
藤田田のように、病気になっても挑戦していくことが大切なのかもしれません。

3.稲盛和夫は、結核になってしまったことがある

一代で京セラ、KDDIグループを築き上げた稲盛和夫は、孫正義のように病気になっても負けなかった起業家の1人です。
稲盛氏は、小学校時代にはやり病だった肺結核の初期症状になっていると診断されました。
家族の中には、結核で死亡してしまった人もいたので、もう助からないのでは…と思ったそうです。
そのとき、病床で「生命の実相」という本を読んで気持ちの強さを持ち直しました。
稲盛氏の父は、家族内に結核のものがいたとき、進んで面倒を見ていましたが、結核にはなりませんでした。
これについて「こころのありようを考えさせられた」と語っていますが、結核を気にする気持ちが災いを呼んでいるのだと思っていたのです。
そして病気を克服した稲盛氏は、1959年27歳のときに、現在の京セラである、京都セラミクスを設立しました。
そして今までに、京セラやKDDIを築きあげてきたのです。
稲盛氏のように、心持1つで何でも変えられると思うといいのだと思います。

スポンサーリンク


4.松下幸之助は、孫正義のように病気になってしまったことがある

孫正義と同じように、松下幸之助もまた、病気になってしまった起業家の1人です。
松下氏というと、パナソニックの創業者として有名です。
松下氏は、20歳くらいのころに肺尖カタルになり、務めていた会社も休めず、食べるのにも困る状況になってしまいました。
そんな状況にもかかわらず、松下氏は自分の運命であると思って、可能な限り養生しようと考えたと言います。
その結果、病気を克服下松下氏は、健康になって94歳まで生きています。
1918年23歳のときに松下電器を設立、会長に退いた後、営業本部長として現場復帰を果たしています。
1989年に逝去するまで、生涯現役として、働いてきました。
松下氏は、自身の著書の中で「運命なら逆らわず、修練の道と思って積極的に病気と付き合い、仲良くしよう」とつとめたと言います。
それが良かったのか、松下氏は最後まで健康に、長生きしました。
病気になっても、前向きに捉えることが出来れば、道は開けるのだと思います。

5.堤康次郎は、膀胱炎の病気になったことがある

リゾート開発のさきがけである、堤康次郎も、病気を克服して成功した起業家の1人です。
堤氏は、昭和18年に前立腺肥大と膀胱結石になってしまいました。
当時は治療法もなく、たまった尿で尿毒症をおこし、死に至ることもありました。
堤氏は「いっそ贅沢三昧をしようか」とも思った時期があったそうです。
ですがその後について、自身の著書の中で「どうせ死ぬと決まったら、死の刹那まで働こう」と決めたと言います。
はなばなしくこの世にお別れしようと決めた堤氏は、箱根の開発や現在の西武鉄道池袋線の経営に参加したりと、各方面に力を注いできました。
衆議院議員に当選したり、議長になったりと、本当に、はなばはしい生涯だったといえるでしょう。
堤氏は、はなばなしくお別れをしようという考えを持てるようになったとき、不安やあせりなどの気持ちから解放されたと言います。
病気になっても自分の気持ち1つで全てが変わることもあるのです。

スポンサーリンク


孫正義のように病気になったことがある起業家5人

1.孫正義は会社設立当初に病気になってしまった
2.藤田田は余命2ヶ月と診断されたことがある
3.稲盛和夫は結核になってしまったことがある
4.松下幸之助は、孫正義のように病気になってしまったことがある
5.堤康次郎は膀胱炎の病気になったことがある

孫正義

孫正義のように、病気になってからも頑張ってきた起業家は、たくさんいます。
その誰もが、病気になってしまったことを悲観せず、前向きなのです。
孫正義や他の起業家のように、病気になってしまっても、前向きに物事を考えていけるようになりたいですね。