財閥の定義とは?財閥と呼ばれるために必要な5つのこと

0
52

3.有限な資源を独占的に扱う鉱山業などから富を得たものが財閥の定義とされる

財閥は、鉱山業などの成功から多角的経営をし始めることもあります。

日本では15大財閥のうちの1つである古河財閥などが有名です。

古河財閥を例に挙げてみると、明治8年に創立された古河本店が源流と言われています。

足尾銅山などでの鉱山開発業が古河財閥のスタートでした。

鉱山開発において大鉱脈を発掘した古河財閥の創始者、古河市兵衛は大きな利益を上げました。

ここで鉱山業から工業へと事業展開を図った古河市兵衛は、次に電機精銅を始めます。

スポンサーリンク



このように、1つの成功からつなげていくことが出来る事業を多角的に経営し、また、そのトップが親族であることが財閥の条件なのです。

財閥が多くあった時代というのは、鉱山業などが盛んでした。

鉱山業でも、1つ大鉱脈を掘り当てることが出来れば、古河市兵衛のように、大きな経営をしていくことが出来る時代だったのです。

残念ながら古河財閥は戦後GHQにより解体されてしまいましたが、今はそれぞれ独立した企業として存在しています。

古河財閥だけではなく、この当時の財閥の多くは、鉱山業を成功させたことからスタートしているのです。

4.政治権力者との繋がりがあることも財閥である定義とされている

財閥の多くは、政治的な繋がりもありました。

特に、明治時代というのは、政治と財閥の繋がりが太かった時代でもありました。

明治時代にあった官業払下げで、富岡製糸場や長崎造船場などが、財閥の元にいったのです。

これらの官営物は国民のお金で立てられたものだったので、それらが財閥の手に渡るというのは、財閥を肥やしてしまうだけのことだったのです。

この時代の政党は、財閥からの活動資金を元に活動していました。

ですから、政府としても進んで財閥の利益を考えて動くようになっていたのです。

政治家と財閥は、互いに結託して互いの利益のために行動していたのです。

ですが一方では、国が政策を行っていくうえで、財閥との強力というのは必要不可欠でした。

国の産業を守って発展させていくためにも、財閥の力が必要だったのです。

現在であれば法律で禁止されてしまっている行為ですが、この当時としては、国や産業を守っていくための方法だったといえるでしょう。

つまり、財閥は、政治との繋がりも大きかったのです。

5.現在では、財閥と呼ばれるものは日本には存在していない

現在の日本において、「家族を頂点とした多角経営」という定義である財閥は、存在しません。

戦後日本では、GHQの支配がありましたが、占領政策の1つとしてあったのが「財閥解体」でした。

財閥は日本軍国主義を後押ししたものだと見られていて、軍国主義を根本から改善するためにも、財閥の解体は必要事項であったのです。

解体された財閥の中でも、三井や住友のような財閥の流れをくむ企業は、グループ企業として集まり再び経営を始めています。

ですが、「家族を頂点とした多角経営」という概念がある財閥ではなく、あくまでもグループ企業として、それぞれが独立した形をとっています。

とはいえ、広い意味においての財閥というのは、現在でも存在しています。

企業グループなどを財閥というときもあったり、地方において政財界に影響力のある富豪を財閥と呼ぶこともあります。

財閥は解体され、本来の意味での財閥というのは、現在日本には存在していません。

ですが、広い意味での財閥というのは、日本にも存在しているのです。

スポンサーリンク


財閥の定義とは?財閥と呼ばれるために必要な5つのこと

財閥の定義というのは色々あり、現在においても「○○財閥」と呼ばれる家もあります。
ですが、本来の意味における財閥というのは既になくなっているということを知っておくといいのかもしれません。
1.財閥とは家族によって出資された親会社があることが定義になる
2.家族を頂点とした多角経営をしている企業が財閥と呼ばれる
3.有限な資源を独占的に扱う鉱山業などから富を得たものが財閥の定義とされる
4.政治権力者との繋がりがあることも財閥である定義とされている
5.現在では、財閥と呼ばれるものは日本には存在していない