楽天の社長、三木谷浩史氏には注目するべき経歴がいくつかあります。
ちょっとした行動などが注目されやすい人物ですが、どのような道を辿ってきた人物なのでしょうか。
では、三木谷浩史氏の経歴について、紹介していこうと思います。
スポンサーリンク
1.大学卒業後、日本興業銀行に入行した
1988年に一橋大学を卒業した三木谷浩史氏は、日本興業銀行に入社した経歴を持っています。
現在のみずほ銀行にあたる日本興業銀行では、名古屋支店を経て、本店の外国為替部配属になりました。
1991年に結婚をした後に、ハーバード大学に入学した三木谷氏は、アメリカでの生活の中で企業家への夢が芽生え始めたといいます。
ハーバード大学在学中にMBA(経営学修士)を取得し、企業金融開発部で国際的なM&Aを担当していました。
当時の顧客は、ソフトバンクの孫正義やTSUTAYAの増田宗昭などが居ました。
日本興業銀行では、大学時代から続けていたテニスを続けるべく、テニス部に所属し、後の頭取となる黒澤洋とダブルスを組んでいたこともありました。
アメリカでの生活があったからこそ、楽天などの会社を立ち上げるきっかけが出来たのかもしれません。
三木谷浩史氏の、これからの経歴に続くきっかけが出来たのは、この日本興業銀行に就職していた時期があったからかもしれません。
2.阪神淡路大震災を経験したことで変わった
三木谷浩史氏の経歴の中で、起業を決意した大きな要因の1つに、阪神淡路大震災がありました。
神戸市に生まれた三木谷氏は阪神淡路大震災で、故郷が瓦礫の山になってしまうのを目にします。
そしてそこで、敬愛していた叔父・叔母を亡くしてしまうのです。
そのことが人生観を大きく変えるきっかけとなり、起業を決意したと、三木谷氏自身が語っているのです。
日本興業銀行にいたときには、いわゆるエリート街道であった三木谷氏ですが、アメリカでの留学経験も、彼の起業を決意させる要因の1つになったとも言われています。
起業をするとき、三木谷氏の中には3つの案がありました。
1つめは天然酵母ベーカリーのフランチャイズ、2つめは地ビールのレストラン、そして3つ目がインターネットショッピングモールでした。
楽天市場は今でこそ、日本でも最大級のインターネットモールですが、開始当初は売り上げが上がらなかったという過去もあります。
三木谷浩史氏は今までの経歴の中で、常に改善を続けてきたからこそ、今の成功があるのです。
スポンサーリンク
3.34歳のときにはフォーチュン誌の若手富豪に選ばれた
楽天の三木谷浩史氏は、過去の経歴の中で、34歳のときに若手富豪ランキング6位にランクインしています。
コンサルティング会社としてスタートしたクリムゾングループの代表取締役社長に就任した三木谷氏は、そこで稼いだ6000万円を元手に、楽天の前身となるエム・ディー・エムを設立します。
エム・ディー・エムはインターネットビジネスの会社でした。
今の楽天のように、「商売したい人たちのための場を提供するビジネス」として、インターネットショッピングモールを設立したのです。
ここで確実に成果を伸ばしていった三木谷氏は、アメリカの経済誌「フォーチュン」の若手富豪ランキングで6位に選ばれるまでになりました。
このとき、三木谷氏の資産は3000億円近い金額とも言われています。
三木谷浩史氏は、過去の経歴の中でもこのときから、成功を確実なものにしていったのです。
スポンサーリンク