稲盛和夫が日本航空を再建させた3つのポイント

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稲盛和夫氏は京セラの創業者ですが、日本航空を再建させた人物としても有名です。

一度は経営破たんしてしまった日本航空の再建は簡単なものではありませんでした。

では、稲盛和夫氏はどのようにして日本航空を再建させたのかについて、詳しく説明したいと思います。

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1.稲盛和夫は日本航空再建に関してまずは決算書を確認した

稲盛和夫は日本航空の再建を行うにあたって、まずは決算書を確認することから始めました。

そもそも、稲盛和夫は当初、日本航空再建に携わる気はなく、打診されても断っていたという経緯があります。

その後、何度も稲盛氏のところに再建についての打診をしにくる熱意に押される形で、無報酬で日本航空の再建を行うことになったのです。

企業の経営というのは、どんなに大きな会社であっても、小さな会社であっても、収支の内訳がはっきりしていないことには何も始まらないのです。

ですから、稲盛氏は日本航空の再建にあたって、まずは決算書を見せるように依頼しました。

ところが、日本航空側から提出されたのは、2〜3ヶ月前の決算書です。

日本航空のように、世界中に支社がある場合、毎月の決算書をすぐに提出するのは難しいことではありますが、それをやっていなかったことが、日本航空が破綻してしまった原因の1つであると稲盛氏は考えたのです。

稲盛氏は、自身の会社である京セラでも、徹底して会計学を導入していました。

毎月の決算をしっかり行うことや、利益を出すためにコストを削ることなどを徹底していたのです。

日本航空は再建にあたり、全体の4分の1程度の人数の人員削減を行っていました。

残った雇用を確実に確保しておくため、そして二次破綻をさせないためにも、日本航空の再建では、経営陣を変えることから始めていく必要があったのです。

稲盛和夫氏は、日本航空を再建させるためには、今までのようなトップダウンの組織ではダメだという考えに至ったのです。

2.日本航空のフィロソフィを作ることで社員の意識を統一した

稲盛氏はJALの再建をするために、まずは社員の意識を統一することが大切だと考えました。

JALは経営破たんをする前は、一部の経営陣が方針を決めて、それを実行するというトップダウンの形式を取っていました。

一方、稲盛氏の会社である京セラは、アメーバ経営と言って、社内にいくつもの小さなチームを作り、それぞれが経営を支えるために仕事をしていく方針を取っていました。

ですが、小さなチームを作っているとはいっても、企業としての成功をしなければいけないので、会社全体の意識の統一を行っていました。

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それが、稲盛氏が考えた京セラフィロソフィです。

稲盛氏はJALの再建をするときに、当時の社長である大西賢氏に京セラフィロソフィを渡しました。

そして、それを参考にしてJALのフィロソフィを作るように命じたのです。

JALは、大西氏を中心に2ヶ月かかってJALのフィロソフィを作り上げました。

稲盛氏は、会社を経営するにあたって、経営者は孤独であるということを常に心配していました。

経営者というのは、色々なことを自分で考えで決めていかなければいけないので、常に孤独との戦いなのです。

そんな中で自分の考えと同じ考えを持っていて、同じように経営をすることができる自分の「分身」がいたらいいのに、と思ったことで、稲盛氏はフィロソフィを作成したのです。

フィロソフィを作成することで、自分の考えをみんなに共有してもらうことができ、同じように会社について考えてもらうことができます。

稲盛氏は、JALの再建をするなら、みんなが経営を考えるような仕組みを作らなければいけないと考えてフィロソフィを作成させたのです。

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