楽天の創業者で社長といえば、時代の寵児とも言われた三木谷浩史氏です。
三木谷氏は強引とも言われるような革新的な経営を行い、度々ニュースにも取り上げられます。
では、楽天の社長、三木谷浩史氏というのはどのような人物なのか、詳しく調べていきましょう。
スポンサーリンク
1.三木谷浩史氏は大学卒業後、日本興業銀行に入行した
まずは三木谷浩史氏の経歴から知っていくことにしましょう。
三木谷氏は、兵庫県神戸市の出身です。
1983年に兵庫県立明石高等学校を卒業後、1988年に一橋大学商学部を卒業しています。
大学を卒業後は、日本興業銀行、現在のみずほ銀行に入行しました。
日本興業銀行に入行した三木谷氏は、銀行の留学制度を利用して、アメリカのハーバード大学に留学していました。
そこでNBAを取得し、日本に帰国した後は、企業買収や投資銀行業務を担当していました。
三木谷氏は、アメリカ留学をする前までは、「大手企業に就職をして、出世をしていくことこそがビジネスマンの王道である」と考えていたといいます。
ですが、アメリカ留学の経験が三木谷氏の考え方を変えました。
アメリカには多くの起業家がいて、若い人でも積極的に自分で事業を始めています。
そんな世界に触れた三木谷氏は「起業こそ価値があり、重要なものである」と考えるようになったのです。
そんな中で三木谷浩史氏は、楽天の創業を決意していったのです。
2.1995年に楽天を創業し、会長に就任する
三木谷浩史氏が楽天を創業したのは1995年です。
この年、日本では阪神淡路大震災という大きな出来事が起こりました。
当時、三木谷氏はベンチャー企業を相手にする投資銀行業務を行っていて、その日はアメリカに出張するために空港に向かっていたといいます。
三木谷氏は兵庫県の出身なので、自身の身内も友人も、数多くの人が亡くなったと知らされたといいます。
三木谷氏が特に敬愛していた叔父叔母も、この震災で失いました。
まもなく起業を決意した三木谷氏は、大学の同期の人間と一緒に楽天を創業したのです。
楽天の創業当時は、インターネットショッピングもあまり普及しておらず、お店の出店数は多くなかったといいます。
それでも「誰でも簡単に出店できるシステムを作ろう」とした三木谷氏は、ワープロが出来れば出店できるシステムを開発し、楽天の発展に力を注いできたのです。
現在においても楽天は多角的な経営をし続けて、これからもどんどん発展していく楽天には三木谷浩史氏の存在が欠かせないのです。
スポンサーリンク
3.三木谷浩史氏は楽天の英語公用語化を進めた人物である
三木谷浩史氏が大きな話題となったのは、楽天の英語公用語化です。
グローバル経済になっていくにつれて、海外へ進出していく企業はどんどん増えていきます。
そんな中で日本語しか使えない人よりは、英語をしっかり使えるようになることが重要であると三木谷氏は考えていたのです。
楽天の英語公用語化は、2010年から始まりました。
三木谷氏の構想の中では、楽天を世界一のインターネットサービス企業にしたいという思いがあります。
そのためには、世界で戦っていける人材を育てていく必要があるのです。
そして、自分たちの考えを世界に発信していくためには、日本語のように当たり前に英語が使えるようになることが大切なのです。
ただし、英語公用語化には批判的な意見もあります。
会議などを英語で行うと、言いたいことが伝わらなかったりという弊害があり、業務に支障をきたしてしまうという意見もあるのです。
三木谷浩史氏が進める英語公用語化には、まだまだ多くの課題がありそうです。
スポンサーリンク