稲盛和夫氏といえば、「経営の神様」と呼ばれる人物です。
一代で京セラを大きくし、今も尚、経営とは何かについて、さまざまなところで哲学を語り続けています。
では、そんな「経営の神様」稲盛和夫氏について、詳しく説明していきたいと思います。
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1.京セラの創業者である
まず、稲盛和夫氏といえば、京セラの創業者であるという一面が、もっとも有名だと思います。
稲盛氏は鹿児島大学工学部を卒業後、京都にある碍子メーカーに就職しました。
1959年、知人の出資により、碍子メーカーの仲間たちと、資本金300万円で京とセラミック株式会社を設立します。
これが、現在の京セラの前身です。
社長として就任しましたが、工場の中で社員たちと汗を流しながら、高いセラミック技術で世界的にも有名な会社となっていきました。
また、1984年には、電気通信事業の自由化に伴って、第二電電企画株式会社を設立します。
これは、現在でいうKDDI株式会社のことです。
稲盛氏は、京セラの経営にあたって、独自の経営哲学を持って経営にあたりました。
それが京セラフィロソフィであり、アメーバ経営です。
現在では、その知識や経験を生かして、企業家の育成にも力を注いでいます。
稲盛和夫氏は京セラを軌道に乗せるまで何度も挫折しましたが、そのたびに立ち上がることで今の地位を築いていったのです。
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2.幼少のころの病のときに読んだ本で、「心のあり方」についての基盤ができた
稲盛和夫氏は幼いころ、肺結核の初期症状といわれる病気にかかってしまいました。
そのころ、稲盛氏の近くには肺結核を患っている人物がおり、稲盛氏は自分に移ってしまうのを恐れてあまり近寄ろうとはしませんでした。
その人物の看病をしていたのは、稲盛氏の父や兄であり、稲盛氏はかかわらないでいたにも拘らず、肺結核の初期症状といわれる病気になってしまったのです。
このとき、病床に伏した稲盛氏は、隣の家の人から、一冊の本を手渡されます。
その本には、「心のあり方次第で物事は変わる」と書いてありました。
稲盛氏はそのとき、「兄や父が病気にならなかったのは、強い心があったからだ。自分にはその心がなかったから病気になったんだ」と思ったそうです。
そして、心のを強く持つことで、その病気にも打ち勝ちました。
稲盛氏は常々、「心のあり方次第」という言葉を口にします。
仕事にしても、心のあり方次第で楽しいものになったり、辛いだけのものになるんだということを、稲盛和夫氏は知っているのです。
3.独自の経営哲学を持って、経営を進めてきた人物である
稲盛氏の経営哲学は、時として宗教的といわれることがあります。
京セラフィロソフィなどがそう言われてしまう理由のひとつになっています。
そもそも、京セラフィロソフィというのは、稲盛氏が経営を行っていくうえで大切にしていることであり、稲盛氏の考え方を社員にも分かってもらおうという意味で作られたものです。
例えば、経営をしていくにあたっては、心を大切にすることだったり、公明正大に利益を追求することであったりという内容が盛り込まれています。
フィロソフィの中には、仕事以外でも人生はこうやって生きていくべきであるという教訓のようなものがたくさん書かれています。
京セラで働いていくために必要なことであると同時に、生きていくうえでも必要なことが盛り込まれているのです。
ここまで哲学的に経営を行っている人物というのは少なく、稲盛氏の経営哲学は確固たるものであるため、宗教的と揶揄されてしまうことがあるのです。
稲盛和夫氏のように、確固たる経営哲学を持った人物が進める経営は、働く上でとても重要なものなのではないでしょうか。
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