孫正義の人物像を知る5つのポイント

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孫正義氏といえば、ソフトバンクの社長として、誰でもが知っている人物です。

ですが、孫氏がどのように考えて生きてきたのかを詳しく知っている人は少ないでしょう。

実は孫さんも元々お金はそんなになかったのです。

では、ソフトバンク社長孫正義氏はどのような人物なのかについて、紹介していきたいと思います。

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1.佐賀県の朝鮮人集落に生まれた

まず、孫正義氏の生い立ちについて知ることからはじめましょう。

孫氏の父親は在日韓国人の実業家でした。

孫氏は男ばかりの4人兄弟の次男として、佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落に出生します。

通名は「安本正義」といいます。

1973年に久留米大学附設高等学校に入学します。

そのころ愛読していた司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」に触発され、孫氏は高校生ながら渡米を決意しました。

夏休みを利用して、アメリカ・カリフォルニア州に語学研修のため4週間の短期留学をします。

1974年には高校を中退し渡米、アメリカのホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校に入学しました。

そして、サンフランシスコの高校に編入し、高校卒業認定試験に合格したため、高校を3週間で退学、翌年に、ホーリー・ネームズ・カレッジに入学しました。

カリフォルニアの大学に編入した孫正義氏は、学生でありながらシャープに自動翻訳機を売り込んだりと、起業を決意するまでにも行動力あふれる人物だったのです。

2.ソフトバンクの創業にあたって通名ではなく、本名を名乗った

ソフトバンクの創業にあたって、孫正義氏は色々な決断をすることになります。
そもそも、創業に必要になった資金は、自分で考案した「音声付多言語翻訳機」を当時のシャープ専務に1億円程度で売り込み、その資金を元にアメリカで事業を起こすことから始まりました。

日本に帰国した孫氏は、親戚から1億円の出資を受けて、日本でも企業をします。

福岡市博多区に事務所を構えた孫氏は、コンピュータ卸売り事業の「ユニソン・ワールド」を設立します。

後に、この会社はソフトバンクと名前を変え、今では日本を代表する大企業の1つになっています。

「ユニソン・ワールド」を起業してから2年後、孫氏は慢性肝炎で入院し、その後3年間の療養生活を送ります。

ソフトバンクやユニソン・ワールドの創業にあたって、孫氏は通名ではなく本名で会社を興すことを決めました。

日本で「孫」という苗字を使うことは差別される原因になってしまうと反対されていましたが、孫正義氏は「堂々と正面突破したい」と決断したのです。

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3.東日本大震災の復興のために孫正義氏は多額の寄付をしている

2011年の東日本大震災のとき、孫正義氏は義援金として個人で100億円を寄付しました。

そしてその後、2011年から引退するまで、ソフトバンクグループの代表として受け取る報酬のすべてを寄付することを表明しています。

その後、東日本大震災復興支援財団を6月に設立するなど、積極的に被災地支援を行っています。

また、福島の原発事故を受けては、自然エネルギー財団を設立しました。

原発事故の影響などを受けて、自然エネルギーの普及に向けた活動を進めています。

発電コストについて、孫氏は「アメリカにおいて、補助金の助けもあり風力発電と原子力発電のコストが逆転した」という条件から、自然エネルギーのほうが安価であるという立場に立っています。

そこで、自家発電などで生産された自然エネルギーを電力会社が買い取るなど、再生可能エネルギー電機の調達に関する特別措置法の成立に期待していると伝えられています。

孫正義氏は、震災についても、その後の日本の事についてもしっかり考えて、自分の出来ることを行っているのです。

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