柳井正氏は、幼い頃から変わり者としての経歴を歩んできました。
今では、世界的ブランドのユニクロのCEOとして、活躍の場を広げています。
柳井正氏の経歴について、詳しく紹介していこうと思います。
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1.学生時代には商売になど興味はなかった
柳井正氏の経歴は、少し変わっているのです。
1949年2月に山口県で生まれた柳井氏。
実家は洋服店と土建業を経営している自営業の家庭でした。
高校時代のあだ名は「山川」でした。
人が山といえば、自分は川といい、人と同じことには興味がない変わり者として有名でした。
地元の高校を卒業後、早稲田大学政治経済学部に進学した柳井氏ですが、時代は学園紛争の真っ只中でありました。
学生運動は過激化していく一方でしたが、柳井氏だけは活動家に辟易していました。
活動家はいつも一本調子であり、ワンパターンである、と柳井氏は思っていたのです。
「本当に自分で考えていたのか」と思いながら、典型的な無気力学生でありました。
そんな中で、商売には興味がない学生生活を送っていたのです。
商売には興味がなかったものの、小さな頃から実家の商売を見て、聞いていたので、自然に商いの感覚は身についていたそうです。
小さい頃は商売は儲からない、と思っていた柳井正少年は、今後の経歴の中で経営の才能を身につけていくのです。
2.大学卒業後に、商売の面白さに目覚めた
大学卒業後の柳井正氏の経歴は、少し意外なものかもしれません。
大学卒業後には、父親のススメでジャスコに入社しました。
ですが、仕事が面白くないという気持ちが多く、「早く辞めたい」と常に考えていたそうです。
ジャスコに就職してから1年も経たないうちに退社をしてしまいます。
退社後、半年ほどは東京をブラブラする生活を送っていた柳井氏は、友人の家に転がり込んで生活をともにしていました。
ですが友人は就職し、毎朝出社していくのに、自分だけはブラブラしている生活は、柳井氏を憂鬱にさせました。
そして、山口の実家に戻ったのです。
実家に戻ると、紳士服専門店を一手に任されることになりました。
そこで、初めて商売の面白さに気付くのです。
従業員のやる気のなさや仕事の効率の悪さを指摘すると、店員は全て居なくなってしまいました。
ですから、柳井氏は20代で責任を一手に引き受けることになってしまったのです。
ですが、結果としてそれは良かったのだと柳井氏は言います。
やったことが自分に返ってくるという面白さを知った柳井正氏は、その後の経歴にこの経験を活かしていくのです。
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3.ユニクロの創業に尽力した
柳井正氏の経歴で、一番大きな転換期というのは、やはりユニクロの創業です。
柳井氏は1984年に、父の後を受けて小群商事の社長に就任します。
「ユニークな衣料(closet)」という意味を持たせて、「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」、通称・ユニクロを開店したのです。
その第一号店は広島市にオープンしました。
事業の拡大は中国地方を中心に店舗を増やしていきます。
ユニクロの創業にあたって、柳井氏はあるアイデアをひらめいていました。
それは、本屋やレコード店のように、ふらっと寄って、ふらっと出てくることが出来る洋服店をやれないだろうか、ということでした。
そして、その当時はメーカーが小売価格を決めていたので、店舗を経営していても、商売をしているという感覚が薄かったのです。
自分たちで商品を作って、自分たちで価格をつけるということが出来ることが、商売の本当の価値なのではないかと思ったのです。
そして柳井正氏は、日本でチェーン展開をしていくユニクロを創業し、経歴を伸ばしていくのです。
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